「間借り」の生活。

「間借り」しながら発信します。一応「ミニマリズム」志向してます。

なつかしさに新しい感動がある “いま”カセットの魅力を感じる CDラジカセ「CFD-S401」 | Sony's feature | ソニー

http://www.sony.jp/feature/products/170706/?s_pid=jp_top_201707_feature

なつかしさに新しい感動がある “いま”カセットの魅力を感じる CDラジカセ「CFD-S401」 | Sony's feature | ソニー

ネットオークションに入れ込む。

最近オークションでモノを売ることにハマっている。ヤフオクとかメルカリとかスマホを通してモノを売りさばくんだけど、結構そういうことに神経と時間を使うことが多くなった。なんかミニマリスト的ではないなぁと思いつつも、何だかんだで買っていただけるの、つい入れ込んでしまう。
最近引越しをして、ストレージに眠っていたものが沢山出てきた。ミニマリスト的にはすぐ断捨離するのがセオリーなのかもしれないが、結構大切に抱えてきたモノなので、これまで縁がないと思っていたネットオークションに出してみることにした。すると、これが結構買って頂けるのだ。初めはモノへの自分の思い(全然断捨離してないってことだ)から高めの値段を付けたりして全く売れない。しかし、現実を知ってそれなりの値段を付けると、結構売れ出す。モノが1個売れると、何のつながりなのか他のモノも売れだす。それで結構な額(私には)が自分のアカウントに表示される(換金してないので現金は見ていない)と「自分にとっては不要なモノで収入が得られた」喜び、あるいは「モノを売って得られる喜び」というものを感じるようになる。今までの自分の生活の中には無かった喜びだ。言い方は悪いが「ゴミでおカネを得た」っていう驚きと喜びだ。これがモノの流通、あるいは市場価値ってやつか。
そんなこんなで今、不要物を売りさばき中。

minimalismに戻る。

久々のブログ投稿になる。いわゆる「minimalism」から遠ざかっていた。とっても刺激的で斬新なアイデアに感じられたminimalismだけど、自分には所詮実行不可能だと分かって、少し興味を失っていた。でも、最近あんまり調子が良くない。生活はなんとなくギスギスしてて、精神はドンヨリ(((((っ-_-)っ、体はダブついている。なんでだろうと思ったら、それはminimalismを意識しなくなったからだと気づいた。minimalism的な生活は無理でも、それを志向することで得られる生活のスッキリ感が失われていたのだ。それは日毎に生活を沈んだものにしてしまい、ついに精神の不調、生活の澱みとしてハッキリ自覚できるまでになってきたのだ。それでこれからは再度minimalismってものを意識することにした。そうでないと、いつの間にか生活は肥大してしまう。

スタートに戻る。

このブログを始めたのは、自分の意識を大きく変えた「ミニマリズム」について色々と調べたり、書いたりしたかったからだ。
ミニマリズム」と言っても色々と派生しているし、ミニマリストによって重点の置き方も違う。そもそも様々なものが便宜上「ミニマリズム」という範疇に一括りにされているだけかもしれない。
しかし、共通して言えるのは、「生活を丁寧にする」「生活の中で感性を大切にする」ということだ。
私の場合は「生活のキホン」を大切にすることで、毎日がなんだか楽しく豊かに生きられることに気づいたという経験が「ミニマリズム」への傾倒を強くさせている。
ミニマリズム」を知った頃、このブログを始めた頃に戻って、もう1度自分なりのミニマリズムについて考え、そのことをもっと書いていきたい。

スタートに戻る。

このブログを始めたのは、自分の意識を大きく変えた「ミニマリズム」について色々と調べたり、書いたりしたかったからだ。
ミニマリズム」と言っても色々と派生しているし、ミニマリストによって重点の置き方も違う。そもそも様々なものが便宜上「ミニマリズム」という範疇に一括りにされているだけかもしれない。
しかし、共通して言えるのは、「生活を丁寧にする」「生活の中で感性を大切にする」ということだ。
私の場合は「生活のキホン」を大切にすることで、毎日がなんだか楽しく豊かに生きられることに気づいたという経験が「ミニマリズム」への傾倒を強くさせている。
ミニマリズム」を知った頃、このブログを始めた頃に戻って、もう1度自分なりのミニマリズムについて考え、そのことをもっと書いていきたい。

自宅兼コーヒーハウスを建てるヒト

MBAも取って外資系の金融機関に務めてたヒトが、築52年の戸建てをリフォームして自宅兼コーヒーハウスをオープンさせたっていう記事を読んだ。映画や音楽、アートなんかが好きな人が集まるカフェにしたいってことで始めたみたいなんだけど、なんだか面白そう。経営成り立つのかなって思うけど、こういう「物語」って私の好みだ。

1階がお店で、2階が自宅になっている。とっても明るい感じに写っている。視点の通る空間でミニマリスト的な感じがする。東京の世田谷にあるらしい。行ってみたい。お店はいわゆる「サードウェーブ」風の、お客さんの前でドリップして入れるというやつ。(日本の喫茶店って元々そういうもんだったんだけど)

「ミニマリズム」から「ドミトリー趣味」が派生する。

「癖(へき)」と言うほどではないけれど、私には「彷徨」を好む傾向がある。「放浪」というほどではない。経済的にも時間の上でも、他所の土地をふらつき歩くだけの余裕は無いのだ。だからと言って、そういう嗜好を放棄する気もない。それでたどり着いたのがMAX2時間で行ける所に行って、そこで好きにやっているというやり方だ。それだけで私の彷徨への渇望はかなり満たされる。
ずっと同じところで生活するのは、実際のところかなり退屈なことだ。その退屈さゆえに生活への感性は鈍くなり、有難いはずの平和な毎日、つまり「日常」というものにウンザリするようになる。
ミニマリズム」が画期的だったのは、こうして飽きられてしまった「日常」に新たな光を当てて、「生活」を刺激に満ちた新鮮なものに「復活」させたということだ。私に勝手な自由とワガママが許されるとしたら、自宅をもちつつ、あっちこっちに移動して毎日暮らしたい。普段は気分次第で違うところ、新しい場所に寝泊まり(住むというわけではない。)し、疲れてきたらたまに自宅に帰るのだ。だから、自宅は自宅であっても、「寝に帰る」場所に過ぎない。そこに帰れば、いつでも寝たり、くつろいだりできるし、持ち歩けないスタッフはここに置いておくという訳だ。したがって、自宅や自分の部屋を何か「自分らしく」飾るという発想は無い。自宅は自分の裁量で自由に寝泊まりできる、これも又「ドミトリー」なのだ。
したがって私の部屋は、ドミトリーの拡大版のようなのが理想だ。つまり、ベッドか布団があり、タブレットの代わりにパソコンがあり、あとは寛ぎながら過ごすための本なんかがあればいい。趣味のものなんて要らない。そんなのは、スペースを無駄に喰うだけだ。後は着替えや歯ブラシとかタオル、クリームなど、自分を「グルーミング」するものがあればOKだ。これからは、そういう視点で自分の部屋を構成していくつもり。

 

そういう私の理想の住み方に名前を付けるとすれば、「他拠点主義」ということになるだろう。あっちこっちに自分のステーションを作って、そこを渡り歩いて仕事したり休んだりするのだ。それら全てが自分の所有する場所である必要はない。とにかく場所を変えて生活する。それが理想的な生活像だ。なぜそんなに「おかしな」ことをするのか。自宅で全てをするのが最も効率的ではないのか?はっきりした答えは自分でもわからない。でも、この「他拠点主義」を知ってから、私は自分の「生活」や「日常」を大切にするようになったと思う。日常的な生活というのは自分の根本を支えているものなのに、親に全てを賄ってもらいながら、その親を粗末に扱うようなことを「日常生活」に対してしていた。そんなものに神経の僅かだって遣わないし、気を払わないつもりでいた。でも、「ミニマリズム」や「他拠点主義」を知ることで、それら「日常」が在って当たり前だし、いつまでも変わらないものだったのが、変わりうるし、思ってた以上に根拠のないものだとわかって、生活というモノが相対化されるようになって、却ってそれに気を払い、大切にするようになった。
本当言えば、いっそのこと「シェアハウス」にでも住んで、「自宅」というものを喪失したいとも思っている。そうすれば全く変わった世界が見えてくるのではないか。勝手にそう思っている。恐らく「自宅」というものの有難みを思い知って、同じ価値観に戻って来ることになるだろう。でも、それでいいのだ。もしこうした概念(アイデア)を知らずにいたら、私の生活は見た目もスピリッチュアルな意味でも荒れたものになってただろう。私にとって、これは「生活革命」であり、意識の革命なのだ。恐らく「自宅」というよりも「住む」ということに疑いを感じ始めているのだ。「住む」ということや「働く」ということを自分の家や職場の枠内で捉える必要はない時代なのだ。街の中には「サードプレイス」的な場所やモノがあふれ、ネットはどこでだって繋がるようになり、家の中と外での「生活インフラ」に差は無いようになってきた。むしろ外に「アウトソーシング」した方がスッキリ、上手くいくことの方が多いだろう。