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「間借り」の生活。

「間借り」しながら発信します。一応「ミニマリズム」志向してます。

スタートに戻る。

このブログを始めたのは、自分の意識を大きく変えた「ミニマリズム」について色々と調べたり、書いたりしたかったからだ。
ミニマリズム」と言っても色々と派生しているし、ミニマリストによって重点の置き方も違う。そもそも様々なものが便宜上「ミニマリズム」という範疇に一括りにされているだけかもしれない。
しかし、共通して言えるのは、「生活を丁寧にする」「生活の中で感性を大切にする」ということだ。
私の場合は「生活のキホン」を大切にすることで、毎日がなんだか楽しく豊かに生きられることに気づいたという経験が「ミニマリズム」への傾倒を強くさせている。
ミニマリズム」を知った頃、このブログを始めた頃に戻って、もう1度自分なりのミニマリズムについて考え、そのことをもっと書いていきたい。

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このブログを始めたのは、自分の意識を大きく変えた「ミニマリズム」について色々と調べたり、書いたりしたかったからだ。
ミニマリズム」と言っても色々と派生しているし、ミニマリストによって重点の置き方も違う。そもそも様々なものが便宜上「ミニマリズム」という範疇に一括りにされているだけかもしれない。
しかし、共通して言えるのは、「生活を丁寧にする」「生活の中で感性を大切にする」ということだ。
私の場合は「生活のキホン」を大切にすることで、毎日がなんだか楽しく豊かに生きられることに気づいたという経験が「ミニマリズム」への傾倒を強くさせている。
ミニマリズム」を知った頃、このブログを始めた頃に戻って、もう1度自分なりのミニマリズムについて考え、そのことをもっと書いていきたい。

自宅兼コーヒーハウスを建てるヒト

MBAも取って外資系の金融機関に務めてたヒトが、築52年の戸建てをリフォームして自宅兼コーヒーハウスをオープンさせたっていう記事を読んだ。映画や音楽、アートなんかが好きな人が集まるカフェにしたいってことで始めたみたいなんだけど、なんだか面白そう。経営成り立つのかなって思うけど、こういう「物語」って私の好みだ。

1階がお店で、2階が自宅になっている。とっても明るい感じに写っている。視点の通る空間でミニマリスト的な感じがする。東京の世田谷にあるらしい。行ってみたい。お店はいわゆる「サードウェーブ」風の、お客さんの前でドリップして入れるというやつ。(日本の喫茶店って元々そういうもんだったんだけど)

「ミニマリズム」から「ドミトリー趣味」が派生する。

「癖(へき)」と言うほどではないけれど、私には「彷徨」を好む傾向がある。「放浪」というほどではない。経済的にも時間の上でも、他所の土地をふらつき歩くだけの余裕は無いのだ。だからと言って、そういう嗜好を放棄する気もない。それでたどり着いたのがMAX2時間で行ける所に行って、そこで好きにやっているというやり方だ。それだけで私の彷徨への渇望はかなり満たされる。
ずっと同じところで生活するのは、実際のところかなり退屈なことだ。その退屈さゆえに生活への感性は鈍くなり、有難いはずの平和な毎日、つまり「日常」というものにウンザリするようになる。
ミニマリズム」が画期的だったのは、こうして飽きられてしまった「日常」に新たな光を当てて、「生活」を刺激に満ちた新鮮なものに「復活」させたということだ。私に勝手な自由とワガママが許されるとしたら、自宅をもちつつ、あっちこっちに移動して毎日暮らしたい。普段は気分次第で違うところ、新しい場所に寝泊まり(住むというわけではない。)し、疲れてきたらたまに自宅に帰るのだ。だから、自宅は自宅であっても、「寝に帰る」場所に過ぎない。そこに帰れば、いつでも寝たり、くつろいだりできるし、持ち歩けないスタッフはここに置いておくという訳だ。したがって、自宅や自分の部屋を何か「自分らしく」飾るという発想は無い。自宅は自分の裁量で自由に寝泊まりできる、これも又「ドミトリー」なのだ。
したがって私の部屋は、ドミトリーの拡大版のようなのが理想だ。つまり、ベッドか布団があり、タブレットの代わりにパソコンがあり、あとは寛ぎながら過ごすための本なんかがあればいい。趣味のものなんて要らない。そんなのは、スペースを無駄に喰うだけだ。後は着替えや歯ブラシとかタオル、クリームなど、自分を「グルーミング」するものがあればOKだ。これからは、そういう視点で自分の部屋を構成していくつもり。

 

そういう私の理想の住み方に名前を付けるとすれば、「他拠点主義」ということになるだろう。あっちこっちに自分のステーションを作って、そこを渡り歩いて仕事したり休んだりするのだ。それら全てが自分の所有する場所である必要はない。とにかく場所を変えて生活する。それが理想的な生活像だ。なぜそんなに「おかしな」ことをするのか。自宅で全てをするのが最も効率的ではないのか?はっきりした答えは自分でもわからない。でも、この「他拠点主義」を知ってから、私は自分の「生活」や「日常」を大切にするようになったと思う。日常的な生活というのは自分の根本を支えているものなのに、親に全てを賄ってもらいながら、その親を粗末に扱うようなことを「日常生活」に対してしていた。そんなものに神経の僅かだって遣わないし、気を払わないつもりでいた。でも、「ミニマリズム」や「他拠点主義」を知ることで、それら「日常」が在って当たり前だし、いつまでも変わらないものだったのが、変わりうるし、思ってた以上に根拠のないものだとわかって、生活というモノが相対化されるようになって、却ってそれに気を払い、大切にするようになった。
本当言えば、いっそのこと「シェアハウス」にでも住んで、「自宅」というものを喪失したいとも思っている。そうすれば全く変わった世界が見えてくるのではないか。勝手にそう思っている。恐らく「自宅」というものの有難みを思い知って、同じ価値観に戻って来ることになるだろう。でも、それでいいのだ。もしこうした概念(アイデア)を知らずにいたら、私の生活は見た目もスピリッチュアルな意味でも荒れたものになってただろう。私にとって、これは「生活革命」であり、意識の革命なのだ。恐らく「自宅」というよりも「住む」ということに疑いを感じ始めているのだ。「住む」ということや「働く」ということを自分の家や職場の枠内で捉える必要はない時代なのだ。街の中には「サードプレイス」的な場所やモノがあふれ、ネットはどこでだって繋がるようになり、家の中と外での「生活インフラ」に差は無いようになってきた。むしろ外に「アウトソーシング」した方がスッキリ、上手くいくことの方が多いだろう。

酒を手放す。

某有名ミニマリストのサイトに自らの断酒のことが載せられていた。

いちばん必要なときに手放す佐々木典士 – Minimal&ism

文面から察するにかなりお酒が好きな方みたいだが、このお正月から粛々と断酒されてている。このブログを読んで私も「お酒やめておこうかな?」っていうことが頭の中にチラつきだした。

私も最近お酒の量や頻度がどんどん増えてきている。一番気になるのは肥満だ。お酒を飲むとなんだかダラシナイ太り方をするようになる。心の中ではクリフハンガー目指しているのに。実際はだらしなく酔い続けている。そして、太り続けている。

さっきから実家でもらってきたペットボトルのお茶を飲んでるんだけど、そうかぁ、夜くつろぐにしたって、こういうのででいいかって思えてきた。「私もしばらく氏の断酒を真似てみようかな。」って考えるようになった。

 

ミニマリスト大御所、京都で秘密会議のブログ

ミニマリスト日和」のおふみさんのブログを見たら、他の有名なミニマリストブロガー(「ヨガとシンプルライフ」のみゆさん、「minimal&ism」の佐々木さん)と京都のお寺を散策をしたことをレポートしていた。

http://mount-hayashi.hatenablog.com/entry/2017/02/28/181251

こういうメンバーが集まって何を話すんだろう。おんなじミニマリストだと言っても、そのスタンスはかなり違うと思うんだけど。私はオトコなので、佐々木さんの書いたものが一番興味深く感じる。みうさんのものは自分磨きの好きな女性向けって感じで、どこまでも感性が働いている。このスタンスから見たら、佐々木さんのミニマリズムはかなり観念的に見えるのでは。逆に佐々木さんから見たら、自分の生活実感にこだわり過ぎに感じられるのでは。実際にはお互いに認めあってるだろうけど、かなり対照的。

おふみさんは知的でバランスの取れたヒトで、このヒトのブログは安心して読める。

で、この京都のミニマリストトップ会談をブログにしてるのはおふみさんとみうさん。

とっても面白そうな機会なのに二人ともどんな話したとか何で盛り上がったとか全然触れてなかった。やっぱり波長違いすぎたのかな。そうか、中身は雑誌とかに載るのかな。何にせよお題のわりには中身の薄いブログだった。

写真が載っていたけど、みうさんの方が上手だった。ミニマリストのブログらしく撮ろうと余計なものを排除して撮ってる。おふみさんのはそのまま撮ったって感じで、写真としては雑。ミニマリストって、感性鋭いヒトがなってると思ってたんだけど、これは「らしく無い」と思った。

 佐々木さんはどんなふうに書くんだろう?

自宅を「ドミトリー扱い」する。

現在自宅のLDK(リビングダイニングキッチン)の一角に陣取っている。そこでお湯を沸かし、紅茶を入れ(氷は入れないけど)、一昨日買った「森茉莉」の 文庫本をめくる。至福だ。ついこの前までモリマリなんて人知らなかったのに、今ではすっかり気に入っている。この吸引力/毒性、スゴいと思う。

  実はKindle買って、専らそれで「読書」しようと思っていたけど、もうそんな無粋な端末買うつもりは無い。古本屋で古本買って、それを持っ て歩いて自由に読み込むっていうスタイルもアリだと知って、これからの自分の読書スタイルが定まったと思っている。ホント、あの日にあの辺ウロついて、あの古本屋入って「森茉莉」 の本選んだ巡り合わせに感謝している。

 そうやって自分の思ってること、考えていることに容易に浸ることができるのも「我が家」のいいとこ ろだろうが、そこは思い直して「いやいや、ここは一時の仮住まいであるドミトリーなんだ。」と思い直す。

最近やっているのが、自宅を自宅ではなく「ドミトリーハウス」だと思うこと。つまり、自分は「泊めていただいて」いる身であり、この場所で得られるのは「ベッド」と「シャワー」でのプライベートな時間だというフィクションをつくって生活している。

そうすると、ドミトリーハウスの主人にでもなったかのような気分になっ て、やり残した掃除や洗いモノは無いか、思いを馳せるようになる。自分の思っていることに浸るなどというのは、「ドミトリー」的ではないのだ。それでもド ミトリーを清潔に保ち、やるべきことをやってしまった後はそういう贅沢も許されるだろう。この感覚がこれまで「ドミ」を知らなかった私に欠けていたもので あり、これから空想上でも実際にも「ドミトリー」に住む私が持つべき感覚なのである。