「間借り」の生活(くらし)。

「間借り」しながら発信します。一応「ミニマリズム」志向してます。

私のはミニマリズムぢゃなくて貧困趣味か?

巷で「ミニマリズム」と呼ばれるものを見てみると、そこに共通してるのは強烈な美意識だ。モノが無いのではなく、モノを省くことで「見えてくるもの・感じられるもの」を求めている。実際お部屋の写真やワードローブなんかが公開されている(そういうのを公開する時点で、それらはミニマリストの「作品」となっていると思う)のを見ると、単に少ないのではなく、空間が数少ないものでビミョーに演出されている。たまに只々モノが無いことを誇って、倉庫みたいに殺風景な部屋を公開してる人がいるけど、なんか違う方に行ってしまってるなと思う。

しかし、私のミニマリズムはどっちかと言うと、後者の殺伐としたミニマリズムもどきに近いかもしれない。それは部屋に何も無いということではなく、美的センスの欠如という意味でだ。一般にミニマリストの人々はモノの数は少なくするが、モノそのものは高くても良いものにこだわっている。ところが私の場合、モノそのものも安物でないと落ち着かないところがある。例えば前にAppleiPadを持っていたのだが買っても全然使おうとしない。なんか敷居が高くて、それまでに不満を持ちながら使ってた中華パッドに戻ってしまう。結局iPadは手離して、かわりに新たな中華タブレットを購入したのだ。今でもそれがメインユースになっている。私にあっては「ステイ・シンプル」という方向性と「少々高くても良いモノ」とは衝突するのだ。したがって、私の持つものは尽く「安物」でうめられている。仕方ない、私に染み付いたビンボー趣味はその生まれゆえだと思う。でも、着るものをすべてユニクロにして、中華タブでネットして、外食の大半をマクド吉野家で食べたとしても、人間としての尊厳が失われるわけではないだろう(当たり前!)。私は私にあったミニマリズムを探していこう。

スッキリする生活。

レンタルビデオの店に行って、自分が大好きだったシリーズを借りてきた。こういうことをするのは久しぶりだ。一時は毎週のように借りて週末に見ていたのだが、いつからかそういうことはしなくなっていた。多分テレビやビデオを見るよりもネットすることの方が楽しくなってきたからだ。(ネットっていうのはテレビやビデオよりも内容はB級で素人的だし、まとまりに欠けるのに、なぜか面白い)

久しぶりに観るお気に入りのドラマシリーズはさぞ楽しかろうと思っていたが、いざ見てみるとそうでもない。というか、布団に入ってノートパソコンで見てると部屋もとっ散らかってイライラが募ってくる。借りてきたDVDなんかも散乱してるし。

 それでDVDも返して、ビデオ視聴ももすぐに中止したら、又スッキリが戻ってきた!何だろう?これって。あんなに面白かった映画やDVDを観ることに興味を失ったってことか?分からない。でも、寝際にビデオを観るくらいなら、しっかり身支度(布団を丁寧に敷いたり、角質化した踵にクリーム塗ったり)して、SONYのAMラジオを低い音で流していたい、って直感的に思った。

「ミニマル」的な生活に馴染んだ体と感覚にはもうマキシマム的なものにはもう馴染めないってことだろうか。つまり、私にとって寛ぎの時間とは音楽やラジオを静かな音量で流して、寝支度や明日の準備なんか(つまり生活そのもの)をしている時間になったのかもしれない。それだったら典型的なミニマリストの「部屋」なんかで生活できるかもしれない。パソコンとマットレスとスピーカー付きのライト(パナソニック製だっけ?)しか無いような部屋で、むしろ幸福になれるって感じがする!

極端に言えば、コレクションしたDVDを観るよりもスッキリした部屋の床を拭いている方が楽しいし、幸福になれるってことだ。今の私ならそういう感覚が理解できる。あるいはそういう生活のほうがエキサイティングかもしれない。

「スッキリする生活」。悪くないと思う。

 

東洋陶器美術館に入る。

ミニマリズム」について考える参考にならないかと思って、大阪市立東洋陶器美術館という所に入った。前から入りたい入りたいとは思っていたのだが、その方目の知識は全く無い。今回ものめり込むほどの感銘は受けなかったが、シンプルさの中に見出す豊穣さ、芸術性というものはミニマリズムが求めてるものと近いのではないかと感じた。
こういう所に来ると、モノと空間の緊張感を嫌が上でも感じるようになる。その空間的な何かが分かればミニマリズムのこともかなり理解できるようになると思った。

一体誰が本当の「ミニマリスト」なのか?

ミニマリズム」と言ってもその在り方や根底にある考え方は多種多様だし、「ミニマリスト」にも色んな種類の人間がいる。共通してるのは「エッセンシャルなことだけに神経を注ぎミニマルでありたい」という思いだけで、人によって価値観は全く異なるので、そのミニマルな姿も全く違って見える。
私が「ミニマリスト」っていうのはこういうヒトのことを言うんじゃないのか?って思う人物の筆頭は、メジャーリーガーの投手であるダニエル・ノリスだ。
彼は年間数億円のお金を稼ぎながら、自身は小汚いバンに住み、24時間営業のウォールマートの駐車場にクルマを停めて、その中で暮らしている。生活費は月に8万円ほどらしい。周りからは「バンマン」と呼ばれ、半ば好奇の目で見られているが、本人は意に介さない。
「シンプルでありたい」というのが彼の信条らしいが、あまりにもエクストリームで ちょっとアブナイのではないかとも思えるが、いわば「ミニマル教」の教祖だと思っておくのがいいかも。つまり、すでに彼は「向こう側の世界の人」あるいは「神に近い存在」だとしておいて、彼を私たちと連続した存在だとみなすのはやめておこう。
私が興味を持っているのはダニエルの個人史ではなく、彼の現在の有り様だ。日中はビーチのそばに住み アウトドアキャンプそのものを毎日の生活とし、オンボロフォルクスワーゲンバスで球団の練習に向かう。夜はソーラーパネルで蓄電したソーラーパネルの電気で本(Kindleなんかぢゃなくて現物の本)を、ポータブルストーブで沸かしたコーヒー片手に読む。彼は、自身がバンの天井に貼っているように「Nonconformist(体制に従わないヒト)」なのだ。彼はこうした生活、周囲から変人だと見なされるような生活を送る理由をこう語っている。「私が恐れているのは他人の掟で生きることであり、こうした生活は他人のコードに順応するのを防いでくれますから。」
つまり、彼は「孤独な旅人」なのだ。彼の住まいは放浪そのものであり、放浪するのにムダなものは持っていけない。彼は「ミニマリズム」を志向して「ミニマリスト」(あるいは彼をミニマリストとカテゴライズすること自体に疑問を感じる人も多いだろう)になったのではなく、人生を放浪するために自然と「ミニマルな」スタイルを身につけたのだ。
私自身、放浪(あるいは彷徨)とミニマリズムは親和性の高いものだと思っているので、彼のような存在は私にとってミニマリズムを地で行く人物に思えるのだ。まぁ、要はホームレスなんだが――――――。

ありがたいよ、「ミニマリズム」。

そもそも私は「ミニマリズム」的な人間ではない。むしろ何かというとすぐ増やしてしまうし、散らかしてしまう「マキシマム」的方向に流れてしまう人間だ。このブログだって、自分をミニマリズム的な方向に揺り動かすための刺激として始めたようなものだ。「ミニマリズム」は私にとって罪深き者がまだ見ぬ聖地に向かうのを導く声のようなものいで、この世の向こうの話なのだ。(つまり、私の生活の中にミニマリズムと呼べるものはない)それでも「ミニマリズム」を志向するのはなぜか。それは「ミニマリズム」というアイデアが実際の私の生活を律するのに最も適したアイデアであり、かつ精神衛生にも大変いいからだ。簡単に言ってしまえば、「ミニマリズム」は私をイライラに満ちた(その原因の大半は私の性根にある)生活をスッキリしたハッピーなものに転換してくれる「視点」であり、「生活の転換点」なのだ。私の生み出す諸々のドロドロをしたものを肥やしにスッキリしたものにトランスファーしてくれる魔法みたいなものだ。そういう意味で「ミニマリズム」に出会えたのは良かった。それを知った後と前とでは生活のあり方、私という人間のあり方がかなり違ってきている。(と思うんだけど)

「ドミトリーハウス」に学ぶ。

いつの間にかバックパッカーの真似事に堕している私の「ミニマリズム」(趣味)だが、ここんとこ週一でドミトリーハウスに泊まっている。そうやって何回か泊まっていて思いついたことは、そもも自宅も「ドミトリーハウス」みたいな構成で良かったのではないだろうかということ。つまり、各個人(この場合はめいめいの家族)のプライベート空間もベッドに限って、個人の部屋なんてものは最初から作らないのだ。実際リビングやキッチン、トイレにバスルーム以外の部屋も基本共有スペースにするのだ。そして、これまでだったら個人の部屋にしていたところに大きめの二段ベッドをしつらえたり、静かな中で仕事や勉強のできる、デスクやテーブルのある部屋(又はスペース)を設定する。
こんな風にして「プライベートな空間」を最初から作らないのだ。そうすれば自ずとムダなモノをめいめいが家の中に持ち込むこともなくなるだろう。

ミニマリズムがいつの間にかバックパッカー趣味に。

最近ドミトリーハウスに泊まることが多くなっている。1週間に1回くらいの割合で泊まってる。それがミニマリズムと関係あるのかと言えば、私的には無いこともない。

そもそも私がドミトリーハウスに泊まるようになったのは、「9hrs(ナインアワーズ)」というカプセルホテルに泊まったことがキッカケになっている。このホテルは宿泊施設としてはミニマムな所で、簡単に言ってしまえばシャワーとロッカー、それにベッドしかない。共有スペースらしきものはあるけど、電気コンセントとテーブルがあるだけで、かなり殺風景。でも、ホテルがトータルとしてデザインされていてホントにスッキリしてる。デザインカプセルホテルって表現したらいいのかな。無印っぽい宿泊施設で、ほとんどが白くなっている。それにホコリってものがない。そういうのが私の中のミニマリズムのイメージと結び付いて、ここに泊まること=(イコール)ミニマリズム体験みたいに思われて、何回か泊まりました。何回かリピートしてたんだけど、それまで泊まってた格安料金で泊まれることがなくなり、仕方なく他の宿を当たってみることにした。そもそも私がカプセルホテルやドミトリーハウスに泊まる必要はさらさら無いのだが、そこに泊まることで、私の生活が新しい視点で自然と捉えられるようになるのだ。それが面白くて楽しくて、格安の宿泊施設を見つけてはフツーのウィークデーに泊まるようになっていった。ムダと言っちゃあムダでしかないんだけど、私にはかなりエキサイティングな体験だし、その体験ゆえ私は自分の冴えない生活を「愛せる」ようになった。それだけでも大きな収穫だと思ってる。これからもドミトリーハウスに泊まっていくと思うけど、出来ればこの「9hrs(ナインアワーズ)」(`・∀・´)又泊まりたい。