「間借り」の生活(くらし)。

「間借り」しながら発信します。一応「ミニマリズム」志向してます。

いまだにノマドを幻想する。

 ずいぶん前に佐々木俊尚氏の「仕事をするのにオフィスはいらない」(光文社新書)を読んで以来、「ノマド」ってことがやってみたくて仕方がない。このアイデアが流布始めた当初は、時代の最先端をいく「カッコいい」ワーキングスタイルのように思われていたが、実際に現実として見てみると、「不安定」「哀れ」「非生産的」な面も指摘されるようになってきた。

 しかし、私自身はこのストリート(街中)で仕事を「やっつけてしまう」、このやり方をいまだに格好いいと思ってるし、せめてそういうスタイルでカフェの席に座ってみたいと思っている。じつは、何度か「ノマド」には何度か(あるいは何十回?)トライしたが、実際のところカフェって場所はうるさ過ぎるし、神経の疲労も激しくて、家に籠って仕事した方が生産性は高いようにその時は感じた。

 それでも、いまだに「ノマド」という仕事スタイルに関心があるのは、自分が「街中をフラつくのが好き」だという全く仕事とは関係無い理由からだ。スタバなんかでMacBookを開いて、それらしいことをしている(らしい)ヒトを見ると、なんだかムラムラしてくるし、「正しく」ノマドすれば、夢のような生産性を獲得できるはずだと勝手な確信を抱き、詐欺にカモられたみたいに見当違いな夢に踊っている自分がいる。

 しかし、冷静になって考えると、「ノマド」で本当に重要なのは、MacBookiPhoneのようなハードなんかではなく、ドキュメントやデータを保存する「クラウド」サービスなのだということが見えてくる。「ノマド」の自由さはノートパソコンの軽さやスマホの扱いやすさから始まったのかもしれないが、作成したデータやドキュメントを手持ちのノートパソコンやスマホというローカルなガジェットにため込んでいるようでは、「自由な」仕事スタイルとは言えないし、何よりもデータがガジェットに依存してて危なっかしい。ノートブックがつぶれたり、スマホを無くしたりすると、データが失われたり、他人の手に渡ってしまったりするのだ。

 真の「ノマド」というのは、データの格納をして当然であったノートやスマホなどデジタルガジェットをデータから解放した時から始まったと言えるだろう。ノートパソコンやスマホは、文書や数字を入力したり、それらを「クラウド」というどこかに送り込んでしまったり、そのどこかからか再ロードしたりする橋渡しするだけでよくなったのだ。もし壊れても紛失しても、データを危機にさらす可能性はほとんどなくなった。データがノートの中に無いのだから当然と言えば当然だが、ガジェットの中にデータを入れないというのは、それまでには全くなかった発想だ。

 でも、コンピュータLANというものを知ってて、サーバーとクライアントという関係を知っていれば簡単に理解できただろう。一台(または一部)のコンピュータが「サーバー」と称して、数多くのコンピュータ(クライアント)から「接続」を集め、そこからのデータを一手に引き受ける。その仕組みを無限レベルに拡大して、接続にWiFiという無線技術を使い、街中にアクセスポイントを設置したり、電話回線を使ったりしたのが「クラウド」サービスという訳だ。

 こうしたインフラの充となくして「ノマド」というワーキングスタイルは存在し得なかった。だから、「ノマド」したいなら、コンピュータやスマホなどのブランドよりも、いかなるクラウドサービスを使うかが本質的には重要なことだと言えるのだが、目がいくのは専らガジェットだという貧困な私。