「間借り」の生活。

「間借り」しながら発信します。一応「ミニマリズム」志向してます。

phaさんがブログについて述べたこと。

 稼げる「引き籠もり」phaさんが、「週間はてなブログ」のインタビュー記事の中でブログについてこんなことを述べてました。

 

”ブログは「こんなことをした」「こんなことを考えた」という記録を残すために書いていますが、一方で考えを整理するために書いているという面もある。頭の中のゴチャゴチャしたものを、ある程度人にも見せられるように整理することで、自分もよく理解できるんです。「他人が見るかもしれない」という視点があったほうが、ちゃんとまとめる気になりますから。外向きと内向きが“半々”くらいの加減が、ちょうどいいなあと思っています。”

 

 このスタンスは私がこのブログを書いているスタンスを正確に表現してくれています。読者を意識して書くのも一つのやり方でしょうが、私は誰よりも自分のために書きたいと思っています。その書いたものに一方は数えきれ無いほどの読者がつき、もう一方の私の書いたものには読み手が皆無だという事実はありますが、もしかしたら誰かが読むのかもしれないという意識が文章を書く場合にはいい刺激になっています。

 

 そもそも私にブログを書かなければならない必然性というのは全くありませんでした。しかし、以前から日記めいた文章(書いたものを「日記」だと意識したことは無かった)を書くことはよくしてました。何か書きたいというよりも、コンピュータに向かってキーボードを使って文章を書くことが好きで、そうした行為が「癒やし」だったのです。私はそれを「文書セラピ」だと呼んでいました。つまり、私が文章を書くことは仕事をしたり、何かを想像したりという積極的な理由よりも、自分がイライラや何らかの不全感から「癒される」ために行っている自己治療のようなものだったのです。

 「文書セラピ」はスターンドアローンのMac(powerMac6200/75)で書いていました。この6200/75のキーボードの打鍵感、ファンの音、筐体のデザインのまとまりなんかは「癒やし」には最高のものでした。この頃から私はコンピュータという機械に質感の良さや味わいなんかを求めるようになってました。中古のMacを買い集め、ベージュのpowerMac(先の6200/75やG3 DTT233など)を買い集めていました。

 今はネットとWiFiの時代になり、コンピュータのある特定の場所ではなく、いつでもどこでも文章を書ける時代です。スターンドアローンのコンピュータで文章を書くことも無くなり、コンピュータはデスクトップ主流からノートブック、スマートフォンタブレットと入力デバイスの種類も増え、「コンピュータ」そのものの位置づけも変わってきました。文字通り「いつでも」「どこでも」文章を書ける環境になって、「文書セラピ」の量が増えたというとそうでもないようですが。