「間借り」の生活(くらし)。

「間借り」しながら発信します。一応「ミニマリズム」志向してます。

これって何なのか?

今日も仕事を終えて、街中に出て、吉野家の牛丼を喰らい、スマホを握って「ポケモンgo」をして、ベンチに座ってGoogle
提供してくれる「ニュース」を読んでいた。そうやって、タブレットスマホを持って街中に出るのが私の楽しみなのだ。
でも、今日はちょっと違ったことが起こった。
さっきも書いたようにベンチでスマホをイジってネットから与えられるニュースやらのコンテンツを見てたんだけど、近くでタバコを吸うやつが何人もいて、その煙が流れてくるので、ベンチの後ろに建ってるTSUTAYAに入った。
それで、当然本屋なんでそぞろ歩きしながら時より本を手に取って眺めていた。
で、そうやって本を見ていると、写真家の「星野道夫」関係の本が積んであるところに出くわした。彼のことは少しは知ってる。高校生の時に出くわした1枚の写真を見て、その写真に写っていた「アラスカ」に冒険家として写真家として、あるいはモノ書きとして自らの人生を捧げたヒトだ。
その彼の功績を称えるかのように、彼の写真集やエッセイの文庫本、彼を特集した雑誌なんかが整然と並べられていた。彼の没後何周年が、今、彼のことがブームになってるのか、それは知らない。
普段なら何気に通り過ぎただろうが、 なぜか足を止めて本を手に取った。それで雑誌に載ってる彼の撮った森林の写真や彼の書いた本のほんのヒト文を読んだだけでなんだか不思議な気持ちに襲われた。それは一言で言えば、ひどい後悔の念だ。
なかなか上手く言えないが、例えば、この「星野道夫」という稀にみるストーリーテラー(しかも、それはどれも彼の体験そのもの!)が書いた本がこうやって存在するのに、そんなことに気づきもせずにネットのもたらす素人文章や興味本位に書かれた文章を喜んで読んでいた自分がいたたまれなくなった。なんて勿体無い、なんて哀れな、なんて品性に欠けることなんだ、と。そばに素敵な女性がいたのに、それには気付かすゲスな女の子に熱を上げていたとか、家で手の込んだ料理が差し出されているのに、それを食べずにジャンクフードを腹に詰めていた、って感じかな。
とにかく、Google端末好きだとか、新しいMacbook欲しいとかいうことには、もう飽き飽きした。今日突然にそのことに気がついたのだ。
スマホ触るなら本を読もう。iPhone買ったりXperia買うんだったら「本」を買おう。心からそう思った。バカな入れ込みから正気に返ったのか、新たな狂気に突入したのか、それは分からない。でも、タブレットスマホなんかに時間と神経を取られるのは、もうゴメンだ。