「間借り」の生活。

「間借り」しながら発信します。一応「ミニマリズム」志向してます。

「間借り」は続く。

 相変わらず1周間に1回のペースで「間借り」している。

 京都に楽しみとして「間借り」を始めた当初は、デザイナーズデザインのカプセルホテル「9hrs(ナイン・アワーズ)」によく泊まっていた。その頃はネット予約なら1泊2500円で泊まれたのに、今は高騰して4000円・5000円ほどになっている。そのためコストの点でも、面白さ新奇さを求めるという点でも、「ゲストハウス」に最近は泊まっている。要はドミトリーハウスであり、自分のスペースとして充てがわれるのはベッドのみである。あとのシャワー、トイレ、洗面、リビングなどは全て共用で、「私の領域」と呼べるものは殆ど無い。しかし、それゆえ宿泊料金は1500円〜3000円と大変安くすむ。(ワタシ的にはドミトリーハウスに一泊3000円は高い。実質1000円、高くても1500円がせいぜいだと思っている。実際にはその値段で泊まれることは少ないが。)

 値段やブッキングのサイトの評価はあてにならないことが多く、多分にサイトに金払いが良いところが高評価を得ているのではないかと勝手に思っている。こうしたドミトリーハウスでは「安眠」というのは中々得られない。かなり慣れが必要で、私もここ二ヶ月くらいは睡眠不足と疲労の蓄積を感じたりしている。だったら、そんなムダなことサッサと止めて自分の家でゆっくり休めばいいと思われそうだが、この「ドミトリーハウス」っていうのは、普段の自分の生活を「再発見」する切っ掛けになるだけなく、得てするとノンベンダラリと流れてしまう自分の生活がかなり印象的でエキサイティングなものにしてくれるのだ。それが快感で止められずにいるって云うのが正直な所。

 「私の領域」というものが無い生活を味わうと「私」を許してくれる、普段の自宅でも生活がこの上なく贅沢であり、有り難いものなんだと実感できるようになる。と同時に自分の生活がいかにスッキリさ(あるいはミニマムさ)から離れてしまって、ムダなものを抱え込んでしまっているかがわかるようになってくる。例えば本なんかも、これがドミトリー住まいなら、「今」読んでいる本を一冊だけ持っていれば十分であり、物理的に何冊も何冊も本を抱え込むことなんかできない。それが読んでしまった本やこれから読もうという本を何冊も抱え込んでしまうのは、非合理な性癖がなせることであり、すぐに改善するべきことだと理解できるようになる。「書斎」なんてものは一部の知識人だけに許される特別なものだと思うようになる。

 もっと生活の根本で言えば、「家」の本当の存在意義がわかってくる。それは静かに安心して眠れる場所の提供であり、シャワー(あるいは風呂)や歯磨き・髭剃りなどのグルーミングがゆっくりできる場所の提供である。この二つが「自宅」というか、「私の住処(すみか)」の存在理由なのだ。これまで意識などしなかったことだが、この二つができないと「健康的で」「清潔な」文明人の生活は送れない。逆にこの二つのポイントから見れば、今の私の「住処(すみか)」には必ずしも要らないものが結構大きな顔をして大切な空間を占拠しているのが見えてくる。例えばテレビ・本棚なんかはその類だ。そうしたものが「必須なもの」としてデカデカと置いてあるために、快適な生活の根本である「空間」が失われている。誤解が無いように説明し直すと、本やテレビ放送などのメディアのもたらすコンテンツが悪いわけではない。しかし、そのために沢山の空間が取られてしまうのは、「倒錯した」生活感覚の現れに他ならないのだ。そして、そうした「倒錯した」生活は、結局ヒトを疲れさせ、不健康にし、感覚や思考を鈍らせてしまうのだ。